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東京高等裁判所 昭和59年(ラ)316号 決定 1984年11月29日

抗告人

和田久知

抗告人

和久井良子

右両名訴訟代理人

宮崎富哉

相手方

株式会社豊栄土地開発

右代表者

沼田達男

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一本件抗告の趣旨は、「原決定を取消す。相手方の申立を却下する。」というものであり、その理由は別紙「抗告の理由」記載のとおりである。

二抗告人らは本件のような明渡断行の仮処分の場合、本案未提起(この点は抗告人らも争わない。)のまま仮処分申請が取下げられても、仮処分執行の取消を求める余地はなく、抗告人としては本件仮処分執行により今なお損害を被りつつあり、本件担保の被担保債権の確定をなしえないのであるから、民事訴訟法五一三条第二項によつて準用される同法一一五条三項にいう「訴訟完結」に至つていない旨主張する。

しかし、本件仮処分申請が取下げられたことにより、抗告人らと相手方との間における事件の係属は終了し、抗告人らとしては、本件仮処分の執行によつて被つた損害の範囲及び額を明らかにしたうえ本件被担保債権の権利行使を何時にてもなしうる立場にあるのであつて、現時点において抗告人らに右損害賠償の訴提起を強いたとしてもそれ程の不利益を課するものとは解しえない。むしろ、本件担保を立てたままにしておかなければならない相手方の不利益とを比較して考えるとき、本件のような断行の仮処分の場合について、同法一一五条三項にいう「訴訟ノ完結」とは、本案未提起の場合における仮処分申請の取下げをも含むものと解するのが相当である。

よつて、本件抗告は理由がなく、棄却すべきものであり、主文のとおり決定する。

(田尾桃二 南新吾 根本眞)

〔抗告理由〕

一 原決定は、民事訴訟法第五一三条第二項により、同法第一一五条第三項、第二項を準用してなされたものであることは明らかであるが、原決定は、本件の場合、同法第一一五条第三項にいう「訴訟ノ完結」に至つていないのに拘らず、敢てこれに至つたものとして、同条項所定の手続を履んでなされたものである。それゆえ原決定は、担保取消についての民事訴訟法所定の手続の適用を誤つてなされたものであつて違法である。

二 本件の場合、次の理由により、未だ「訴訟ノ完結」に至つていないものである。

1 民事訴訟法第一一五条第三項にいう「訴訟ノ完結」とは、担保権利者が被担保債権の存在について確定的な主張をすることが可能であり、かつ、被担保債権額の算定に支障のない状態に達することをいうものと解されている。これは判例、通説の認めるところであることは周知のとおりである。

2 保全処分の担保については、本案が係属しているときは、本案が確定するまでは、「訴訟ノ完結」には至らない。他方、本案未係属のときは、本案の結果が担保権利者の権利の有無について影響することはないから、保全処分の執行が現に存在しないことが証明されれば、「訴訟ノ完結」に至つたものと認めることが許され、実務もこれによつて行われている。しかし保全処分の執行が現に存在している限りは、「訴訟の完結」と認め得ないことは言うまでもない。

3 本件担保に係る東京地方裁判所昭和五四年(ヨ)第二九八五号仮処分申請事件で発せられた仮処分決定は証拠資料1のとおりである。これは所謂明渡断行の仮処分であつて、抗告人らは、昭和五四年六月一九日に発せられた右仮処分を、同月二五日に、被抗告人から執行されて、抗告人らの住居であつた右仮処分決定の物件目録(一)記載の建物から強制的に退去させられると共に同目録(二)記載の土地を強制的に明渡させられて(証拠資料2参照)今日に及んでいる。詳細は省くが、右仮処分は被保全権利なくしてなされた違法なものであつて、抗告人らは右の違法な仮処分の執行により今なお損害を被りつつあり、従つて本件担保による被担保債権の額の算定に支障のない状態に未だ達していない。

4 被抗告人は、抗告人らに対する権利行使催告の申立をするに当たり、御庁に対し、昭和五九年五月二二日付の右仮処分申請事件の取下げ書及び本案未提起の上申書を提出した。被抗告人から抗告人らに対して、右建物から退去して右土地を明渡すことを求める本案訴訟が未だ提起されていないことについては、抗告人らも、これを争わないが、被抗告人は、右権利行使催告の申立てをするに当たり、右仮処分執行が現に存在していないことの証明を何らしていない。無論、右仮処分執行の取消されたことが担保取消裁判所たる原裁判所に顕著であれば右の証明は不要なわけであるが、本件の場合、右のような事実はあり得べくもない(後述三参照)。それゆえ本件の場合、未だ「訴訟ノ完結」には至つていないのである。

三 本件抗告の理由としては以上に尽きるが、本件抗告の理由は、所謂明渡断行の仮処分のために立てた担保についての担保取消の方法はいかにあるべきかについての一般論と密接不可分に関係するので、以下これについて述べ、抗告理由を補足することにする。

債権者に終局的満足を与えてしまう所謂明渡断行の仮処分は、終戦前においては、仮処分の暫定性に反し許されないものと一般に解されていたが、終戦前の深刻な住宅不足の時代に、裁判実務は、債権者が人としての生活を営むために切実にして緊急な住居の必要に迫られていると認められる場合につき、かかる仮処分も許されるものとしたことは周知のとおりである。その後、これが一般化され、切実な緊急の必要があれば、この種の仮処分が許されるとの考え方が行われるようになつて今日に及んでいる。(注1)

(注1)しかしながら現行法のもとでこのような、本案認容の裁判をするに等しい仮処分の方法が果たして許されるのかについては依然として多大の疑義がある。このような仮処分のための手続は、実質的には、簡易な本案訴訟手続に外ならないのであるから、そのための特別手続法なしに、かかる裁判をすることは許されないと立論する余地が十分に存するのである。

仮に現行法のもとでかかる仮処分を発することが許されると解するとしても、仮処分の必要性のチェックは厳格でなければならないのは当然であつて、それは債権者が人としての生存ないし生活を維持するため切実にして緊急の必要に迫られているものと認められる場合に限定されるべきではないかと思料する。従つて例えば債権者が著しい損害を被るときであつても、それが金銭的なものに過ぎない場合若しくは所詮金銭的なものに帰する場合の如きは、この種仮処分の必要性を肯定すべきではない。

担保取消の関係で、この種仮処分の問題点は、この種仮処分においては、通常の仮差押、仮処分の場合と異なり、仮処分手続の一環として、仮処分執行を取消す方法がないことである。即ち、通常の仮差押、仮処分の執行については債権者からの執行取消(若しくは執行解放)申請があれば、執行機関は執行取消(執行解放)をすることになるし、又債権者が仮差押、仮処分の申請を取下げれば、執行機関は債務者からの執行取消(若しくは執行解放)申請によつても執行取消(執行解放)をすることになつているが、明渡断行の仮処分においては、債権者は執行取消申請によつて執行取消即ち原状回復をすること(所謂逆執行)は、現行法上出来ないし、又仮令債権者が仮処分申請を取下げたとしても、債務者が執行機関に対して、執行取消即ち原状に回復すること(逆執行)を求めることは現行法上出来ないのである。ここにも、この種仮処分が通常の仮差押、仮処分とは異質なものであることが現われている。(注2)

(注2)所謂執行官保管占有移転禁止仮処分でも債権者に目的物件の使用を許すものについては、通常の主文では、やはり、執行取消即ち原状に回復すること(逆執行)は現行法上出来ないが、仮処分命令の主文の中に、「但し債権者に右物件の使用を許した後、執行取消の申立があつたときは、執行官は右物件に対する債権者の占有を解き、債務者にその占有を得させなければならない。」と付記されておれば逆執行が出来るので明渡断行仮処分の場合と全く同じではない。

さて、本案未係属のときは、保全処分の執行が現に存在しないことが証明されれば、「訴訟ノ完結」に至つたものと認めることが許されることは前述のとおりであるが、明渡断行の仮処分の場合、その執行取消即ち原状回復(逆執行)の方法はないのであるから、債権者は仮処分の執行が現に存在しないことを証明しようにもしようがないのである。従つて明渡断行の仮処分を執行した債権者としては、本案未提起であれば、先ず本案訴訟を提起し、本案の確定による「訴訟ノ完結」を待つて後はじめて担保権利者即ち債務者に対する権利行使催告の申立てをすることが出来るものと言わなければならず、本案訴訟の提起ないしその確定を見ることなしに右権利行使催告の申立てをすることは出来ないのである。

これに対して、明渡断行の仮処分の場合でも、本案未提起のときは、債権者が仮処分申請を取下げれば、「訴訟ノ完結」ありとしてよいとの見解が裁判実務の一部で行われている。原決定も恐らくこの見解によつたものと思われる。判例、通説上確立している「訴訟ノ完結」についての前述の解釈を全く踏みにじつてしまうような、右の見解は、この種仮処分の執行を受けた債務者の多くが、債権者からみて、所在不明となつてしまう実情に鑑み、本案未提起の債権者に、担保権利者に対する権利行使催告の申立のために本案訴訟の提起ないし本案の確定まで要求するのは、債権者に無用の負担を強いるものであるとの考慮に基づくものと憶測されるが、しかしながら、この種仮処分の執行を受けた債務者が本案の裁判によらずして本案の裁判で敗訴してその執行を受けたと同様の状態に置かれ、而もその状態が依然として継続していることを考えるならば、本案未提起の債権者に、担保権利者に対する権利行使催告の申立のために、本案訴訟の提起ないし本案の確定を要求するのは当然であつて、債権者に無用の負担を強いることになるなどというのは、明らかに債権者に偏した謬見と言わざるを得ない。のみならず右のような謬見に基づく右の見解は、債権者に、本案訴訟を省略して、而も本案訴訟に勝訴したと同様の実効を収める可能性を与えるという意味で、債権者を不当に利するものであり、他面、債権者の仮処分申請の取下にもかかわらず依然としてその仮処分執行の結果を甘受せざるを得ないでいる債務者に、損害の額が未だ確定していないにもかかわらず権利行使を強いることになるという意味で、債務者に不当に不利益を課するものであつて、かかる衡平を欠く見解は断固として排斥されるべきである。誤つた実務を正し、正しい実務の指針となるような明快な御判断を示して戴きたい。

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